ランゲ&ゾーネは「ランゲとその息子たち」という意味があり、ドイツ・グラスヒュッテで創業された世界5大腕時計の一角をなすメーカーです。創業者はフェルディナント・アドルフ・ランゲ氏です。1845年、ドイツはグラスヒュッテに工房を構えました。
グラスヒュッテは今でこそノモスだ、グラスヒュッテ・オリジナルだ、モリッツ・グロスマンだとご当地有名時計メーカーが少なくありませんが、実はその礎はランゲ&ゾーネが築いていたことをご存知でしょうか。
当時、山々に囲まれ辺鄙な場所に位置していたグラスヒュッテは、産業奨励を大きな課題としていました。かつて栄えた銀鉱山が枯渇しており、街全体が貧困に直面していたためです。
そこでアドルフ・ランゲ氏が時計工房をつくることで、ドイツ時計製造の中心地に成長させていくこととなります。

その後、アドルフは二人の息子に恵まれます。
父親譲りの職人魂と経営手腕を持った長男リヒャルト・ランゲ氏および次男ミール・ランゲ氏が工房に加わった1868年、現在にも続くA.ランゲ&ゾーネ―ランゲとその息子たち―の名称が誕生しました。
ドイツの好景気に後押しされ、ランゲ&ゾーネは黄金時代を過ごします。
と言うのも、普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)によってフランスに勝利したドイツは、これまでフランスに後塵を拝していた軍事・経済両面で大きな飛躍を遂げることとなり、加えて第二次産業革命が追い風となり、ヨーロッパ全土が華やかな空気に包まれていたのです。

しかしながら第一次世界大戦での敗北とその後のファシズム台頭により、黄金期は終焉します。
第二次世界大戦下ではランゲ&ゾーネの時計工房(そしてランゲ&ゾーネ以外のドイツ時計メーカー)は軍需工場となり、かつソビエト連邦からの空襲によって焼失してしまいます。もっともドイツ時計産業は既に円熟を迎えていたため、軍用時計としてドイツ軍をよく助けることとなりました。
さらに戦後、東ドイツ側に与したグラスヒュッテの各種産業は国営会社となったことから同工房もグラスヒュッテ国営時計会社に統合。当主であった4代目ウォルター・ランゲ氏は西側に亡命し、ランゲの名は時計市場から姿を消していきました。

 

新生ランゲ&ゾーネの誕生

二つの戦火によって、一時は消滅してしまったランゲ&ゾーネ。しかしながらウォルター・ランゲ氏は、着々と復活の機会を窺っていました。1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌年にドイツ悲願の東西統一が果たされるやいなや、ウォルター・ランゲ氏はグラスヒュッテに舞い戻ります。そして、ランゲ&ゾーネ(当初はランゲ時計株式会社)の名で、時計工房を再設立しました。

新生ランゲが誕生した1990年代はクォーツショックがひと段落し、再び機械式時計が返り咲きつつあった時代でした。そこでウォルター・ランゲ氏は、同ブランドが伝統的に大切にしてきた「繊細な手作業」「グラスヒュッテ様式」をブランド製品の哲学とし、1994年にランゲ&ゾーネの名前を復興。同時に「ランゲ1」「サクソニア」「アーケード」「トゥールビヨン“プール・ル・メリット”」の4モデルをローンチしました。それらの新モデルは約50年も休眠していたとは思えないほどの出来栄えで以て、プレスリリースの場に集まった取材陣や業界人を圧倒させました。

 

ランゲ&ゾーネの超高級腕時計が凄すぎる!

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